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阪神淡路大震災から20年;屋根、倒壊について

 ●豊中市;瓦の棟がほとんど崩壊した本当の理由

阪神淡路大震災が発生したのは、1995年、1月17日。多くの方が亡くなられた日です。 ご冥福をお祈りいたします。 実は1995年当時大阪の豊中市に住んでいてこの震災を実際に体験したひとりです。

  豊中市の震度は、およそ6強から7弱。 横で寝ていたかみさんが縦揺れの前に起きていて、地響きがしたのだそうです。そして突然突き抜けるような大きな縦揺れが起きたそうです。 そしてこの世のものとは思われない横揺れ・ ・ ・ ここから記憶があるのですが、感覚的な揺れの大きさは、左に50cm、右に50cm ほど左右の揺れ、床がまるで、生き物のように暴れていました。駐車場では、車が横左右に揺さぶられ、タイヤの移動跡が1mほど残っていました。 私の左50cm、右50cm揺れた感覚は正しかったのです。 マンションのリビングダイニングは、悲惨なことになっていて、茶タンスの扉は全開で、皿、茶碗は全てほうり出されているし、ソース、醤油、油缶、その他調味料も中身は全て出ていて、床に転がっていました。 床はその調味料の海でした。 マンションの建物は、倒壊、亀裂ヒビ、割れや裂け等の被害は無かったのですが、隣の新しいマンションには、基礎部分にヒビがかなり入っていました。この建物は、バブルの最中に建設された建物で、高額な割には、脆い構造なっていたのと思われます。

 豊中市内の瓦葺き一戸建ての瓦はそのほとんど全部の家で瓦が全部又は一部が崩落していて、例外なくブルーシートが被せてあるのを鮮明に覚えています。 つまり当時の瓦の工法は震度6程度の揺れで簡単に崩壊する工法、工事方法だったのです。 当時の瓦の施工方法は、瓦を桟木に引っ掛けて施工する引っ掛け工法で、屋根本体とは何ら固定されていない工法だったのです。 その落下した瓦に当って怪我をした方も何人かおられました。 今考えるとそら恐ろしい感じがします。 早朝の震災でしたのでまだ被害は少なかったのですが、これが昼とか夕方に起きたら、瓦が次々と落下してくる狭い道路を通る目にあたったのかもしれません。

 豊中近辺では、倒壊・半壊した住宅、マンションは無かったのですが、震源に向かって近くなればなるほど、倒壊した家、マンションが多くなりました。 また震源の神戸までに大きな川が2本あって、神埼川と武庫川なのですが、その川の西川と震源から遠くなる東側とでは、その被害の大きさにかなりの違いがあり、川が被害の緩衝になっているのがはっきりとわかりました。 私は三宮にいた会社の同僚の様子を見に、バイクで西方面に行ったのですが、とくに覚えているのが、もう通行できる道は限られていて、ジグザグに行かなければならなかったのですが、通った芦屋あたりのある細い道の両側には、倒壊した家、家、家、家、一面焼け野原のような光景がありました。 呆然としました。 

 木耐協(日本木造住宅耐震補強事業者協同組合)の調べでは、この震災での倒壊した木造住宅の倒壊のほとんどは、ほぞ抜けだそうです。 柱とその土台の接合が、良く柱の端を細く加工して、相手の土台にはめ込む、それだけの構造だった、建築当時、1995年から20年から30年前には、そのような建築工法しかなく耐震なんてそんなものは無かった時代でした。 特に大阪・神戸という土地は、地震のない土地柄で、大阪の方が東京に来て、震度4程度の地震があると、非常に驚くのです。
 東京やその周辺に住んでいる人にとって考えられないほど、びっくりするのです。で曰く「大阪に住んで20年やけど、一回も地震におうたことないねん」・・・と、こちらは「うっっそ」です。 それくらい大阪人、神戸人は地震に対して大油断でしたので、耐震など夢の中の物語にもならないのでしょう。 地震に対する備えなどまずやらない土地柄だったのです

 最近東京直下型の大地震の発生予測に変更がされ、今後30年以内に震度6強の地震の起こる確率が4年以内に70%というとんでもな?予測もあり、東京直下型地震はいつ起こってもおかしくないようです 家屋の耐震対策はやっておいて損どころか、やらねければいけない工事になっているのかもしれません。 私のこの築50年になる家は、120万円ほどかけて、「ほぞ抜け」の対策をしましたし、二世代住宅への大掛かりなリフォームで、体力壁を入れ、土台を補強し、昭和53年以前の耐震規格なるものが無い時代の土台の作りは素人目に見ても弱々しく非常に頼りない構造でしたが、今は震度7にも耐えられる構造にしました。(と信じていますが・ ・ ・) でも瓦は、耐震工法ではありません。 工務店の下請けは耐震工法を知らないのか?そんなことを言い出すと予算的にきつかったのか?はたまた私が知らなかったし、言われなかったのでやらなかったのか? でも知っていたと思いますし、リフォームの目的の第一は安全、地震対策でしたので、言って欲しかったです。 知識・アドバイスのない工務店に依頼してしまった私のミスです。 
阪神淡路大震災の教訓から、国と全国の瓦の組合で、やっと新しい震度7クラスでも耐えられる耐震工法が開発されました。遅すぎます。 一般のお客様は全く知らないことですが、瓦(平瓦も棟部分も)は屋根本体に固定されていません。 我々一般消費者は、耐震基準が新しくなったら屋根もその耐震基準に合わせているのだと誤解していました。 国も瓦組合も国民を「騙した」に近いことを平気でやってきたわけです。 瓦の屋根は、耐震工法などは、黙っていてもやるのが常識ではないのか? 何も知らなかった2007年当時、工務店の営業も知らないことばかりなのですね! がっかりしました。 どこの工務店とは言いませんが ・ ・ ・ 
 耐震の実験:
左の住宅サンプルは震度7クラスの地震に耐えられる耐震工法で建てられた家。
右は、なんら耐震対策をしていない家。
 震度7での耐震実験、右の耐震対策をしていない家は、倒壊です。

しかし、屋根を見てください。 家は崩壊していますが、やねは無傷。屋根だけ耐震の屋根にしてあります。
 20世紀も終わろうとする、1995年以前の瓦の施工は、乱暴な言い方をすれば、瓦をただ屋根の上に置いていただけ(引っ掛け桟工法と言います)。 なにも固定のビスや釘等は使われていなかったのです。 上はガイドライン工法の説明です。 左は平瓦(本体)、右は棟の施工方法です。 いずれもステンレスのビス、釘にて、屋根本体(躯体)にしっかりと固定する工法です。
(20世紀には、当たり前にやっていたのと思っていました・・・思うほうがおかしいのでしょうか?) 
 瓦の屋根は、1995以前に建てられていれば、瓦は何ら固定されていない、引掛け工法(桟木に引っ掛けるだけの工法)です。 震度5、6クラスで簡単に瓦は落ちてしまいます。 横はまだしも、特に縦方向の揺れには決定的に弱いです。 なんせ何にもビスも、釘も止めていないのですから、だれもこんなこと言わないですね! でも屋根業界では、当たり前で、だれも疑問にすら思わない、お客様に言うこともしない。 何か思い瓦を軽い、金属にしたら地震対策になりますとか・・・盛んに言ってますが(私も言いますが)それよりこの事実を伝えるのが先決のような気がします。 引っ掛けで止まっている瓦ですが、そんなこと全く知らないお客様ばかりです。 だれも何も言わない。 いやありますよ、インターネットをみれば瓦は、引っ掛けで止まっていると。でもそれは、危ない、耐震工法にするべきで、やるかやらないかは、個人の事由ですが・ ・ ・ でもその為に通行人が、落ちた瓦が頭に当って死んだら、その家の責任になりませんか? 



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